G-TRY 会社概要
ジー・トライの歴史

代表挨拶
私の祖父は四国の漁師の息子として生まれました。
14歳のころ大阪の刺繍屋に丁稚奉公として修行を積んでいます。
当時の刺繍というのはミシンの上に生地をおき、その台を前後左右に自在に動かし縫っていく職人性の高い仕事でした。
幼いころ働いていた四国の工場の機械で指を数本落とした祖父ですが、持ち前の反骨心でハンディを見事に克服し一流の職人になったそうです。
筆で書く文字よりも刺繍で描く文字の方が綺麗であったという逸話もあります。
戦後 進駐軍が入ってきて軍服に入れるJOHNとかTOM等のネームが刺繍屋の大きな仕事でした。
1人分のネームを入れる金額と当時の散髪代が同じであったそうです。
1枚30秒ほどで今の3000円ほど稼げるというかなりいい商売でした。
しかしいつまでもいい事は続きません。
父が家業を継ぐころには刺繍もミシンの技術高度化と共に大量生産化が進み、かなり苦しい時期を迎えます。
私が誕生する頃には下請けさんはカラーテレビを持ち高級車に乗っているが、私の家は白黒テレビに軽トラという時期が続いたそうです。
その頃、父はアメリカで刺繍をビジネスとして大々的に活躍しているコーク・シュナイダーさんという方の本に出会います。
父は当時まだ会ったこともないコークさんに手紙を書き、強引にも修行させてくれと現地に乗り込みます。
そこで見たものは、日本と全く違う刺繍の世界でした。
ヨーロッパではお城のような家に住んでいる刺繍屋もいる。
アメリカでは自家用セスナで商談に行く刺繍屋もいる。
常々祖父は父に、刺繍屋でも海外でビジネスができると男のロマンを語っていたようですが、この時にそのスイッチが入ったようです。
研究に研究を重ね、ついにアイロンで接着できるエルファンワッペンを誕生させました。
いまでは、世界中で当たり前になっている手法ですが、当時では画期的だったのです。
今でもその手法は全世界中で使われています。
その後、刺繍の世界にも大きな波がやってきました。
それは世界が小さくなり繊維の世界も海外生産がメインになってきた事です。
特に中国は目覚しい発展を遂げ、父の時代にスタートした中国工場は今や無くてはならない存在となっています。
そして私は今、刺繍屋として新しいステージに立っています。
衣服という 着る というだけの機能を考えれば刺繍は絶対必要ではない。
ただ刺繍がある事により人々が喜び、楽しみ、癒される、そんな価値を創造するのが我々の仕事です。
会社や組織は形を変え、人も変わります。
しかしそこにある理念はいつも同じく
刺繍をもって、いかに人に喜んでいただけるか
という事であります。
少しでもみなさんに刺繍の良さをわかっていただける事を願っております。
14歳のころ大阪の刺繍屋に丁稚奉公として修行を積んでいます。
当時の刺繍というのはミシンの上に生地をおき、その台を前後左右に自在に動かし縫っていく職人性の高い仕事でした。
幼いころ働いていた四国の工場の機械で指を数本落とした祖父ですが、持ち前の反骨心でハンディを見事に克服し一流の職人になったそうです。
筆で書く文字よりも刺繍で描く文字の方が綺麗であったという逸話もあります。
戦後 進駐軍が入ってきて軍服に入れるJOHNとかTOM等のネームが刺繍屋の大きな仕事でした。
1人分のネームを入れる金額と当時の散髪代が同じであったそうです。
1枚30秒ほどで今の3000円ほど稼げるというかなりいい商売でした。
しかしいつまでもいい事は続きません。
父が家業を継ぐころには刺繍もミシンの技術高度化と共に大量生産化が進み、かなり苦しい時期を迎えます。
私が誕生する頃には下請けさんはカラーテレビを持ち高級車に乗っているが、私の家は白黒テレビに軽トラという時期が続いたそうです。
その頃、父はアメリカで刺繍をビジネスとして大々的に活躍しているコーク・シュナイダーさんという方の本に出会います。
父は当時まだ会ったこともないコークさんに手紙を書き、強引にも修行させてくれと現地に乗り込みます。
そこで見たものは、日本と全く違う刺繍の世界でした。
ヨーロッパではお城のような家に住んでいる刺繍屋もいる。
アメリカでは自家用セスナで商談に行く刺繍屋もいる。
常々祖父は父に、刺繍屋でも海外でビジネスができると男のロマンを語っていたようですが、この時にそのスイッチが入ったようです。
研究に研究を重ね、ついにアイロンで接着できるエルファンワッペンを誕生させました。
いまでは、世界中で当たり前になっている手法ですが、当時では画期的だったのです。
今でもその手法は全世界中で使われています。
その後、刺繍の世界にも大きな波がやってきました。
それは世界が小さくなり繊維の世界も海外生産がメインになってきた事です。
特に中国は目覚しい発展を遂げ、父の時代にスタートした中国工場は今や無くてはならない存在となっています。
そして私は今、刺繍屋として新しいステージに立っています。
衣服という 着る というだけの機能を考えれば刺繍は絶対必要ではない。
ただ刺繍がある事により人々が喜び、楽しみ、癒される、そんな価値を創造するのが我々の仕事です。
会社や組織は形を変え、人も変わります。
しかしそこにある理念はいつも同じく
刺繍をもって、いかに人に喜んでいただけるか
という事であります。
少しでもみなさんに刺繍の良さをわかっていただける事を願っております。